我慢ってものによる
あることを我慢しようとしたけど結局できなかったおはなし。
自分で自分は我慢強いと思っていました。痛みにしても、欲望にしても、昔から辛抱は美徳というに近い教えがあった気がします。そのせいか割となんでも我慢しました。
欲しいものがあっても買わなかったり、嫌いなものも我慢して食べたり、痛みにも我慢して声を上げなかったり、そんな感じでした。
ただ、なんとなく我慢していなかったことを我慢しようと思ったのですが、我慢できませんでした。まあ、害のあるものでもないし、我慢しなかったところで何が起きるというものでもなかったのですが、我慢しようとしてたのに自分がまあいっかと思ったことを意外に思いました。
なので、我慢できなかった原因を考えました。
まあさっき書いた通り、今まで我慢しなかったことが原因なんだろうと思いました。我慢できることって小さいときに教えられと事を我慢するんだろうなと思いました。けど、小さいときに我慢を強いられたこと抑圧された反動か、逆におおきくなって開放してします人もいます。丸刈りを強制された野球部がロン毛になるとか。
なので、さらに分けると、小さいときに周囲の環境方自分で我慢したほうが良いと思っていたことは大きくなっても我慢できるし、周囲の環境だけで我慢しようとしたことは反骨してしまうのかな?
じゃあ大きくなってから我慢するのはどうすれば良いんでしょうか?
一番は周囲に発言すること、いまはそう結論付けました。言霊とかそういうわけではないが、心理学的な人がそんなこと言ってた来ます。
なので、ここに書いておきます。
オナ禁します。